ヘロドトス

ヘロドトス (前485頃-前425頃) はアナトリア半島沿岸部の都市ハリカルナッソス出身の人物です。

ハリカルナッソスはアケメネス朝ペルシアの支配下にありました。ヘロドトスはサモス島、アテネへと引っ越したのち、南イタリアでの新たな植民市の建設に参加しその地で生涯を終えます。ヘロドトスは『歴史』を執筆した人物として有名です。

ハリカルナッソ(トルコ・ボドルム)
現代のハリカルナッソスの風景(現トルコ・ボドルム)

『歴史』はペルシア戦争を中心に記されたものです。

ヘロドトスによるとペルシア戦争の発端は以下の通りであるそうです。ミレトスの僭主(ギリシア人)がペルシア王の歓心を得ようとナクソス島に侵攻しましたが失敗し、僭主は責任を逃れるためペルシアに対して反乱を起こそうとしました。そこで僭主はアテネ含むギリシアの各都市に反乱の援助を申し出、アテネがこれに応じたことからペルシアの怒りを買い、ペルシアによるギリシア侵攻が行われました。

ナクソス島の光景
現代のナクソス島

『歴史』は他にも、アケメネス朝ペルシアがメディア、リディアに替わって小アジアを支配するに至った経緯・逸話や、バビロンの町の壮麗さ、北方の狩猟民族であるスキタイについて説明するなど、本筋であるペルシア戦争から離れた記述も非常に充実しています。


参考文献

ヘロドトス『歴史 上』松平千秋訳, 岩波書店, 1971

ヘロドトス『歴史 中』松平千秋訳, 岩波書店, 1972

ヘロドトス『歴史 下』松平千秋訳, 岩波書店, 1972


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フェイディアス

フェイディアス (前490頃-前430頃)はアテネ出身の彫刻家です。

彼の生きた時代はペルシア戦争の真っ只中で、アテネ市内も戦場となり破壊されます。

アテネはペルシアに対抗するためデロス同盟を結成しており、盟主として潤沢な資金を用いることができました。そこで、アテネの代表であったペリクレスは、都市の守り神の象徴としてアクロポリスを再建することにしました。

フェイディアスはパルテノン神殿の建設に関わることになり、彼が製作した彫刻作品がアクロポリス内に設置されたと言われています。残念ながら彼の作品は現存していません。

Franz Karl Leopold von Klenze(1784-1864)によるアテネ・アクロポリス全景の想像図。中央にフェイディアス作アテネ・プロマコスの像が見える。有名なアテネ女神像はパルテノン神殿(画像右の大きな建物)の中に据え付けられていたそう。
アテネ・アクロポリス
おおよそ同じ方角から見た現代のアテネ・アクロポリス。時の流れによりアクロポリスの大部分が消失している。

参考文献

Chisholm, Hugh, ed. “Pheidias”. Encyclopædia Britannica. Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press, 1911

田中美知太郎『アクロポリス』, 講談社, 1968


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