エラトステネス

エラトステネス (前275頃-前194)はアフリカの都市キュレネで生まれた学者です。

彼はアレクサンドリアの研究機関ムセイオンで図書館長の職を得て、地理学や天文学など多くの学問の研究を行っていました。

キュレネ遺跡
現代のキュレネ遺跡(リビア領)

エラトステネスの功績の一つは地球の円周を測ったことです。

エジプトのナイル川を上った先にシエネという町があります。そこは夏至のとき太陽が真上に来る地点として知られていました。一方アレクサンドリアでは太陽は真上から少し南寄りです。そこで両地点に影を測る装置を置いて、装置と太陽光のなす角度を求めると、アレクサンドリアでは7.2°、シエネでは0°になりました。地球の1周を円だと考えると、360°は7.2°の50倍です。

アレクサンドリアとシエネの間の距離はおおよそ5,000スタディア(古代ギリシアの距離単位)と計測されていたので、地球の円周は5,000(スタディア)×50(倍)=250,000(スタディア)となります。これは1スタディオン(*スタディアの単数形)を177.6mとして考えるとおよそ44,400kmです。実際の地球の円周が約40,000kmなので、エラトステネスはかなり近い数字を導出することができていました。

上記説明の図示
シエネ・フィラエ神殿
現代のシエネ(エジプト・アスワン)近郊のフィラエ神殿。プトレマイオス朝時代に建てられた。

参考文献

織田武雄『古代地理学史の研究: ギリシア時代』, 柳原書店, 1959


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目次

アルキメデス

アルキメデス (前287頃-前212)はギリシア人都市シラクサ出身の数学者です。

彼の残した書物からは、アルキメデスが積分を用いずに放物線と線で囲まれた部分の面積の求めたことや、球体の表面積や体積の公式を証明したことがわかります。ほかにも、アルキメデスは円周率の範囲を絞ったり、液体上に浮かんでいる立体の位置や螺旋(らせん)構造を考察したりしました。

シラクサ劇場跡
現代のシラクサ・劇場跡

アルキメデスは発明家としても才能があり、第二次ポエニ戦争中、ローマ軍からシラクサを守るために投石機などさまざまな兵器を発明したと言われています。

最終的にローマ軍はシラクサの町に進入し、アルキメデスは一ローマ兵によって殺されてしまいました。


参考文献

『世界の名著 9』, 田村松平編, 中央公論社, 1972


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