トゥキディデス

トゥキディデス (前460頃-前400頃)はアテネ郊外出身の人物です。彼はアテネの最盛期からペロポネソス戦争でアテネが敗北するまでの時代を生きました。

ペロポネソス戦争が前431年に始まると、トゥキディデス自身も戦争に参加しました。

トゥキディデスはギリシア北部トラキア地方の鉱山を所有していたことから、彼はトラキア地方方面に将軍として配属されます。しかしトラキア地方の中心都市アンフィポリスがスパルタ人たちによって奪われました。責任を問われたトゥキディデスはアテネから追放されることとなりました。

こうしてトゥキディデスは戦争から離れ、『歴史』を執筆しました。

内容はペロポネソス戦争についてであり、ヘロドトスと異なり主題について脱線することなく記載されています。

『歴史』ではまずペロポネソス戦争に至った経緯が示されています。スパルタは戦闘民族として有名ですが、外交については非常に慎重で、戦いをなるべく避けるよう動いています。

例えばペルシア戦争のきっかけとなったミレトスの反乱については、スパルタはミレトスからの使者に対して反乱の支援を断っています。結局アテネが支援したことでスパルタもペルシア戦争に巻き込まれることになりました。他にもアテネは神官を買収しスパルタを派兵させるなど、スパルタはアテネにたびたび振り回されてきたため、アテネの勢力が拡大することをおそれます。そして前435年のケルキュラ島を巡るポリス間の争いにより、両勢力が衝突することになりました。

『歴史』は続けて戦時中のアテネ・スパルタ間の外交官のやりとりやペリクレスの演説、その他ギリシア都市との関わりについて詳細に記述します。

ペロポネソス戦争はギリシア中を巻き込む大きな戦闘で、各都市はアテネ・スパルタのどちらかについて戦うことを要求されます。メロス島は中立を維持しようと外交を展開しましたが叶わず、アテネにより滅ぼされてしまいました。

ミロス島
現代のメロス(ミロス)島

ペロポネソス戦争は最終的に、アテネによる無理なシラクサ遠征により戦力を失い、スパルタ側の勝利となって終わりました。


参考文献

トゥキュディデス『歴史 上』, 小西晴雄訳, ちくま学芸文庫, 2013

トゥキュディデス『歴史 下』, 小西晴雄訳, ちくま学芸文庫, 2013


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ソクラテス

ソクラテス (前469頃-前399)は古代ギリシアの人物の中でも特に有名な哲学者です。

彼は対話によって真理を追求しようとし、書物を自ら残すことはありませんでした。

そのため、現在のソクラテス像はプラトンなどのソクラテスの弟子が物語として描いた作品によって作られています。

ソクラテスの特徴は対話の中で相手の発言の矛盾点をつくことです。当時のアテナイは弁論の方法を教えるいわゆるソフィスト(この言葉には否定的なニュアンスがあります)達が多数存在していました。ソフィストは時に理論的に成り立たない言明や過度な誇張表現などを行なっていたので、ソクラテスは問答を繰り返すことで相手自ら間違いに気が付くように誘導していました。

ソクラテスは物事について判断することに非常に慎重で、常に思考に耽っていました。彼はペロポネソス戦争に従軍するのですが、戦場でも突っ立ったまま考えごとをしていたそうです。また、ソクラテスは神々についても存在するかどうか分からないとしていました。このようなソクラテスの問答方法や神々に対する態度、そのほかソクラテスに影響された若者のとった行動によりペロポネソス戦争の敗北につながったとされ、ソクラテスはアテネ市民に疎まれました。ソクラテスは後に告発され、裁判によって死刑が言い渡されました。

ソクラテスはアテネ市民として生きる信念をもっていたため、アテネ脱出の路を断ち、死を受け入れました。

アテネ・アゴラ跡
現代のアテネ・アゴラ跡。アテネ市民たちはアゴラで政治や哲学について議論していた。

参考文献

プラトン『ソクラテスの弁明』, 納富信留訳, 光文社古典新訳文庫, 2012

プラトン『プロタゴラス-ソフィストたち』, 藤沢令夫訳, 岩波文庫, 1988

プラトン『饗宴』,中澤努訳, 光文社, 2013


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