ヒッポクラテス (前460頃-前375頃)はアナトリア半島に近いコス島で生まれた医者です。
彼は病気が神々から与えられるものではなく、自然に発生するものと考えました。
この信念の下、彼は患者の症状を日記に書き留めて治療を施そうとするなど、病気の治療法に対するヒッポクラテスの貢献が現代の医学に繋がっているとされています。
参考文献
『世界の名著9』, 田村松平編, 中央公論社, 1972
文化の側面から高校世界史を学ぶ
トゥキディデス (前460頃-前400頃)はアテネ郊外出身の人物です。彼はアテネの最盛期からペロポネソス戦争でアテネが敗北するまでの時代を生きました。
ペロポネソス戦争が前431年に始まると、トゥキディデス自身も戦争に参加しました。
トゥキディデスはギリシア北部トラキア地方の鉱山を所有していたことから、彼はトラキア地方方面に将軍として配属されます。しかしトラキア地方の中心都市アンフィポリスがスパルタ人たちによって奪われました。責任を問われたトゥキディデスはアテネから追放されることとなりました。
こうしてトゥキディデスは戦争から離れ、『歴史』を執筆しました。
内容はペロポネソス戦争についてであり、ヘロドトスと異なり主題について脱線することなく記載されています。
『歴史』ではまずペロポネソス戦争に至った経緯が示されています。スパルタは戦闘民族として有名ですが、外交については非常に慎重で、戦いをなるべく避けるよう動いています。
例えばペルシア戦争のきっかけとなったミレトスの反乱については、スパルタはミレトスからの使者に対して反乱の支援を断っています。結局アテネが支援したことでスパルタもペルシア戦争に巻き込まれることになりました。他にもアテネは神官を買収しスパルタを派兵させるなど、スパルタはアテネにたびたび振り回されてきたため、アテネの勢力が拡大することをおそれます。そして前435年のケルキュラ島を巡るポリス間の争いにより、両勢力が衝突することになりました。
『歴史』は続けて戦時中のアテネ・スパルタ間の外交官のやりとりやペリクレスの演説、その他ギリシア都市との関わりについて詳細に記述します。
ペロポネソス戦争はギリシア中を巻き込む大きな戦闘で、各都市はアテネ・スパルタのどちらかについて戦うことを要求されます。メロス島は中立を維持しようと外交を展開しましたが叶わず、アテネにより滅ぼされてしまいました。
ペロポネソス戦争は最終的に、アテネによる無理なシラクサ遠征により戦力を失い、スパルタ側の勝利となって終わりました。
参考文献
トゥキュディデス『歴史 上』, 小西晴雄訳, ちくま学芸文庫, 2013
トゥキュディデス『歴史 下』, 小西晴雄訳, ちくま学芸文庫, 2013