エピクテトス

エピクテトス (55頃-135頃)はアナトリア半島の町ヒエラポリスで生まれたとされている哲学者です。

母親が奴隷であったことから、エピクテトスも奴隷としてローマの有力者に売られました。

彼はローマで片足が不自由になるなど厳しい生活を送っていましたが、哲学を勉強することを許されます。そして詳細は不明ですが彼は奴隷から解放されることとなりました。

ヒエラポリス
現代のヒエラポリス(現トルコ・パムッカレ)

エピクテトスが奴隷から解放されたあとはしばらくローマで暮らしていましたが、皇帝が哲学者をローマから追放したため彼はギリシアのニコポリスに移ります。エピクロスはこの地で学校を開きました。

『語録』はニコポリスの学校でエピクテトスが語った内容を、弟子が書き留めたものです。エピクテトスのもとに様々な悩みや疑問をもった人が集まります。エピクロスはストア派哲学の立場にたち、自分の意思で変えられる理性とそうでない外部の事象とを区別して、いかにして問題に動じず理性を平静に保つことができるかについて説きました。


参考文献

『世界の名著 13』, 鹿野治助 責任編集, 中央公論社, 1968


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タキトゥス

タキトゥス (55頃-120頃)はローマで公職に就いた人物です。

当時のローマは皇帝による圧政がしばしば起こっていました。

タキトゥスの親族も皇帝から冷遇を受けたそうで、タキトゥスの文章からはうっすらとローマ帝国への皮肉を感じることができます。

タキトゥスの『ゲルマニア』は、ゲルマニアについて初めてのまとまった記述であり、ゲルマン人の身体的特徴、社会・生活方式についてや、各部族の分布・特徴などが記述されています。

当時のゲルマニアは都市がなく、人々は泉や野原、林に居を構えており、政治は部族の長老たちの民会によってなされていました。また、各部族の事情もそれぞれ異なり、ローマ帝国の領土に組み込まれているところもあれば、ローマとしばしば争っているところもありました。


himmerland
ローマを苦しめたゲルマン人・キンブリ族の故郷の光景(現デンマーク・ユトラント半島北部Himmerland)

参考文献

タキトゥス『ゲルマーニア』, 田中秀央 泉井久之助 訳, 刀江書院, 1941


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