プリニウス

プリニウス (23-79)は北イタリアのコムム出身の人物です。

彼はローマで学んだのち、公職に就きます。彼はゲルマニア近辺やヒスパニア半島に滞在したり、ローマで皇帝に仕えたりしましたが、仕事の傍らで執筆活動にも力を注ぎました。

コモの光景
現代のコムム(コモ)の光景

プリニウスの代表的作品は『博物誌』です。

この作品は宇宙や気象、地球といった包括的な自然から、各地の地理や動植物、金属といった個別的なものまでをも網羅したものです。プリニウスは、作品の初めで皇帝に向けていくらかの覚え書きを献呈したあと、執筆の際参考にした人物の名前を列挙し。各論を記述しました。

79年、イタリア南部ナポリ近郊のヴェスヴィオ山が噴火します。プリニウスは初め噴火地点からは離れた距離の場所にいましたが、不思議な雲が流れてきていることに疑問に思います。そこで調査に出ようとしたところ、現地の知り合いから手紙が届き、その原因が噴火で、知り合いが助けを求めていることがわかります。

プリニウスは知り合いを救出するためにヴェスヴィオ山近辺に赴きましたが、その道中で有毒な煙を吸ってしまい死んでしまいました。

ポンペイ
噴火で破壊されたポンペイの町。後ろに見えるのがヴェスヴィオ山。

参考文献

『プリニウスの博物誌 1』, 中野定雄 他訳, 雄山閣, 1986

Pliny the Younger. “VI.16 To Tacitus” (https://www.bartleby.com/9/4/1065.html)


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セネカ

セネカ (前4頃-後65)はイベリア半島の町コルドバ出身の哲学者です。

セネカの少年期にアウグストゥス帝が逝去し、ローマは以後50年ほどアウグストゥスの血縁者達が皇帝となり治められることになります。

ローマで学問を修得したセネカは弁論家や哲学者として活躍しますが、皇帝からは命を狙われることもありました。それでも有力者達からの評価は高く、50年には後のネロ帝の家庭教師を担当することになります。

しかし65年、自身を退位させる陰謀にセネカが関わっていると疑ったネロ帝は、セネカに自殺を命じます。セネカはこれに応じその生涯を終えました。

コルドバ・ローマ橋
現代のコルドバ。後世の再建を経ているがローマ時代の橋が現存する。

セネカの作品として有名なのは『幸福論』です。この作品の中でセネカはストア派の考え方に立って、自然、すなわち本性に適合する生活を送ることが幸福であるとしています。そして快楽の追求の欠点について述べ、欲望や恐怖を感じることのない徳をもった理性を持つことを促しています。

他にも、『生の短さについて』という作品では、仕事に翻弄され気がつけば人生が終わろうとすることの恐ろしさを語り、現在を大切にするよう忠告しています。


参考文献

セネカ『生の短さについて 他二萹』, 大西英文 訳, 岩波書店, 2012


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