トリボニアヌス

トリボニアヌス (?-543)はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の時代の法学者であり、ユスティニアヌス帝の命により『ローマ法大全』を編纂した中心的人物です。

ローマ法には長い歴史の積み重ねで多くの法律が存在しており、新しい法律が追加されることにより法律間で矛盾・重複が発生する事態が生じていました。そのような状況を改善するため、ユスティニアヌス帝は法律の体系を明確に示す(そしてローマ帝国としての権威を高める)ことを目論みます。

トリボニアヌスを中心とした法学者たちはローマ帝国成立以来の莫大な法律文献を読みこみ、法律の学説をまとめた『学説類集』、法律入門書として『法学提要』、そして皇帝の発布した勅令をまとめた『勅法類集』をラテン語で執筆しました。これらの総称が『ローマ法大全』です。

しかし当時のビザンツ帝国はギリシア語が日常で用いられており、これらの書物を読める人は限られていました。それでは本末転倒であるので、『ローマ法大全』は後にギリシア語に翻訳されます。また、ユスティニアニス帝がなした勅令をまとめた『新勅法』も、皇帝の死後ギリシア語で発布されました。

ハギアソフィア聖堂
こちらもユスティニアヌス帝の命により建造(再建)されたハギア=ソフィア聖堂の現代の姿。建物横の4本の塔(ミナレット)は、オスマン帝国時代にモスクとして改修された際に追加されたイスラム教の象徴。コンスタンティノープル(現イスタンブール)

参考文献

『ローマ法史概説』, 町田実秀, 有信堂, 1963


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アウグスティヌス

アウグスティヌス (354-430)は北アフリカのタガステ出身のキリスト教司教です。

彼は著作『告白』で、自身がいかにしてキリスト教に帰依するにいたったかについての経験を、神への感謝とともに語っています。

彼の幼年時代は学問を好まず、学校ではむちで打たれながら勉強させられたそうです。

16歳になると彼は勉学を中断して放蕩生活を送り、当時流行っていたマニ教にのめりこみます。

しかしやがてアウグスティヌスはマニ教の聖職者に知識がないということに気が付きます。聖職者は天の話をしているのに、その話はこれまでなされてきた天体の観測結果や数学的論証と整合性がありませんでした。

そこで彼はマニ教から離れ、また、修辞学の教師をしていた彼は良い教育環境を得るためにイタリア半島に渡ります。

彼が32歳のある日、考え事をしていると過去の後悔が悲しみとともに押し寄せてきました。木陰に移動して泣いていると、隣の家から子供の「tolle, lege (とれ、読め)」という声が聞こえてきます。近くにあった聖書を開くと、まさしく彼を戒める句が目に入り、キリスト教に回心することになりました。

回心後のアウグスティヌスは聖職者として、信仰につき解釈が異なる人々と議論しました。また、著作『神の国』では、ローマ帝国衰退の責任がキリスト教にあるという意見に対して反論し、現実にある「地上の国」ではなく「神の国」に希望を託しました。


参考文献

『世界の名著 14』, 山田晶 責任編集 ,中央公論社, 1968


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