エウセビオス

エウセビオス (263頃-339)はカエサリヤ(現代のイスラエル北部)出身の司教です。

彼の生きた時代はディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒の大迫害やコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認という、ローマ帝国におけるキリスト教に対する姿勢が大きく変わる転換点でした。エウセビオスは多数の作品を執筆しましたが、代表作はイエスの誕生からコンスタンティヌス帝による公認までのキリスト教徒の活動の歴史を綴った『教会史』です。

『教会史』ではイエス復活の出来事に対し時の皇帝はさほど関心を抱いていなかったことや、やがてキリスト教に対して反発する人々が出てきたこと、そしてローマ皇帝の数代ごとに章立てし、その時代にどのような迫害が起こったかについて綴ります。エウセビオスはディオクレティアヌス帝が303年になした大迫害についても目撃者として詳細に語ります。皇帝による、教会を破壊し文書を燃やせという旨の勅令を契機とし、多くのキリスト教徒が迫害の犠牲になりました。エウセビオス自身も投獄されたそうですが、運良く無事に解放されました。

そして311年、キリスト教を迫害する勅令の撤回がなされ、その後にはコンスタンティヌス帝のミラノ勅令によりキリスト教が公認されます。エウセビオスはキリスト教徒が喜びで溢れる様子や、儀式でエウセビオスが述べた祝辞を書き記しました。

それからのキリスト教では、イエスの神性について論争が起こっていました。「子」であるイエスは存在しないときがあったのであるから、(常に存在する)神の被造物であるとするアリウス派と、「父」と「子」は同質であるとするアタナシウス派の対立です。

325年、コンスタンティヌス帝は論争を解決するためニケーア公会議を開き、エウセビオスも参加しますが、エウセビオスはこの問題について曖昧な態度をとりました。会議では結局アタナシウス派が認められることとなりました。


参考文献

エウセビオス『教会史』(上), 秦剛平 訳, 講談社学術文庫, 2010

エウセビオス『教会史』(下), 秦剛平 訳, 講談社学術文庫, 2010


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プトレマイオス

プトレマイオス(英語名:トレミー)は2世紀頃のアレクサンドリアの天文学者で、『アルマゲスト』の著者として有名です。『アルマゲスト』の書名は、研究が盛んであったイスラーム世界で付けられたものであり、アルはアラビア語の定冠詞(英語でいうthe)であり、マゲストは「大きい」の最上級を表すギリシア語のアラビア語なまりです。

『アルマゲスト』は天文学の体系書です。書の初めで、地球が球体であることや天空が回転すること、そして地球は天空の中心にあり位置が変化しないということを説明します(天動説)。そして、天体が円運動を行うことから、円に関する幾何学の定理をいくつか紹介します。現代の数学Aの範囲であるトレミーの定理の証明もこの書でなされました(下図参照)。

また、天動説に立つ場合、逆行現象について説明することが困難でした。

地球から観測して、普段は一定方向に進んでいた惑星が突然反対方向に進む現象が逆行です。これは地球が惑星を追い越すときに起きる現象です。(例えば、速い電車が同じ方向に進んでいる遅い電車を追い越す時、速い電車の車内から遅い電車を見ると、両者は同じ方向に進んでいるはずなのに遅い電車が反対方向に進んでいるように見えます。)

天動説では地球は固定されているため、上記の説明は使えません。そこで天動説は、惑星は大きな円上と小さな円上(周転円)の両方を移動していると考えます。プトレマイオスはそのような惑星の円運動を、当時の観測データに合致するレベルまで緻密に理論化しました。

天動説に基づく惑星の運動

プトレマイオスの理論は非常に優れていたため、その前提とされていた天動説が覆されるにはおよそ1400年の時間が必要でした。


参考文献

プトレマイオス『アルマゲスト 上巻』,薮内清, 恒星社厚生閣, 1958

プトレマイオス『アルマゲスト 下巻』,薮内清, 恒星社厚生閣, 1958


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