プトレマイオス

プトレマイオス(英語名:トレミー)は2世紀頃のアレクサンドリアの天文学者で、『アルマゲスト』の著者として有名です。『アルマゲスト』の書名は、研究が盛んであったイスラーム世界で付けられたものであり、アルはアラビア語の定冠詞(英語でいうthe)であり、マゲストは「大きい」の最上級を表すギリシア語のアラビア語なまりです。

『アルマゲスト』は天文学の体系書です。書の初めで、地球が球体であることや天空が回転すること、そして地球は天空の中心にあり位置が変化しないということを説明します(天動説)。そして、天体が円運動を行うことから、円に関する幾何学の定理をいくつか紹介します。現代の数学Aの範囲であるトレミーの定理の証明もこの書でなされました(下図参照)。

また、天動説に立つ場合、逆行現象について説明することが困難でした。

地球から観測して、普段は一定方向に進んでいた惑星が突然反対方向に進む現象が逆行です。これは地球が惑星を追い越すときに起きる現象です。(例えば、速い電車が同じ方向に進んでいる遅い電車を追い越す時、速い電車の車内から遅い電車を見ると、両者は同じ方向に進んでいるはずなのに遅い電車が反対方向に進んでいるように見えます。)

天動説では地球は固定されているため、上記の説明は使えません。そこで天動説は、惑星は大きな円上と小さな円上(周転円)の両方を移動していると考えます。プトレマイオスはそのような惑星の円運動を、当時の観測データに合致するレベルまで緻密に理論化しました。

天動説に基づく惑星の運動

プトレマイオスの理論は非常に優れていたため、その前提とされていた天動説が覆されるにはおよそ1400年の時間が必要でした。


参考文献

プトレマイオス『アルマゲスト 上巻』,薮内清, 恒星社厚生閣, 1958

プトレマイオス『アルマゲスト 下巻』,薮内清, 恒星社厚生閣, 1958


マルクス=アウレリウス=アントニヌス ローマ文化まとめに戻る エウセビオス

投稿日:
カテゴリー: ローマ

マルクス=アウレリウス=アントニヌス

マルクス=アウレリウス=アントニヌス (121-180)は五賢帝最後の皇帝です。

彼は学問を好み、ストア派哲学を自己の信条としていました。

若年期はハドリアヌス帝の寵愛を受けます。ハドリアヌス帝はマルクス=アウレリウス=アントニヌスが皇帝の座につけるよう道筋を整えました。

五賢帝マルクス=アウレリウスとの関係在位期間功績
ネルウァなし96-98年皇帝による圧政を断ち切る
トラヤヌス遠戚98-117年ローマ帝国最大版図
ハドリアヌス寵愛。アントニヌス・ピウスにマルクスを養子として迎えるよう遺言で残す117-138年ブリテン島にハドリアヌスの長城建設
アントニヌス・ピウス養父138-161年善政
マルクス=アウレリウス=アントニヌス161-180年善政

マルクス=アウレリウス=アントニヌスは161年、アントニヌス・ピウスの後を継いで皇帝の座に就きます。先代のトラヤヌス帝によりローマ帝国の最大版図が築かれていましたが、その分領土の維持に力を注ぐ必要がありました。マルクス=アウレリウス=アントニヌスはパルティアやゲルマン人のローマ帝国への侵入などを抑えるため多大な時間を戦地で過ごします。

マルクス=アウレリウス=アントニヌスの残した作品は『自省録』であり、戦地でもその一部を書き記したと言われています。この著作は彼の心のうちを打ち明かしたもので、ローマ皇帝としての責任や重圧は相当なものであったことが彼の語りからうかがうことができます。彼はローマ皇帝としての仕事を全うすることこそ自然が自身に課した役割であると考え(ストア派哲学による考え)、遠征先で戦いに勤しみました。

そして180年、彼は戦地で病死しました。

サンタンジェロ城
ハドリアヌス廟にマルクス=アウレリウス=アントニヌスの遺灰が納められた(現ローマ・サンタンジェロ城)。

参考文献

マルクス・アウレーリウス『自省録』, 神谷美恵子 訳, 岩波文庫, 1956


エピクテトス ローマ文化まとめに戻る プトレマイオス

投稿日:
カテゴリー: ローマ