アウグスティヌス

アウグスティヌス (354-430)は北アフリカのタガステ出身のキリスト教司教です。

彼は著作『告白』で、自身がいかにしてキリスト教に帰依するにいたったかについての経験を、神への感謝とともに語っています。

彼の幼年時代は学問を好まず、学校ではむちで打たれながら勉強させられたそうです。

16歳になると彼は勉学を中断して放蕩生活を送り、当時流行っていたマニ教にのめりこみます。

しかしやがてアウグスティヌスはマニ教の聖職者に知識がないということに気が付きます。聖職者は天の話をしているのに、その話はこれまでなされてきた天体の観測結果や数学的論証と整合性がありませんでした。

そこで彼はマニ教から離れ、また、修辞学の教師をしていた彼は良い教育環境を得るためにイタリア半島に渡ります。

彼が32歳のある日、考え事をしていると過去の後悔が悲しみとともに押し寄せてきました。木陰に移動して泣いていると、隣の家から子供の「tolle, lege (とれ、読め)」という声が聞こえてきます。近くにあった聖書を開くと、まさしく彼を戒める句が目に入り、キリスト教に回心することになりました。

回心後のアウグスティヌスは聖職者として、信仰につき解釈が異なる人々と議論しました。また、著作『神の国』では、ローマ帝国衰退の責任がキリスト教にあるという意見に対して反論し、現実にある「地上の国」ではなく「神の国」に希望を託しました。


参考文献

『世界の名著 14』, 山田晶 責任編集 ,中央公論社, 1968


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エウセビオス

エウセビオス (263頃-339)はカエサリヤ(現代のイスラエル北部)出身の司教です。

彼の生きた時代はディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒の大迫害やコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認という、ローマ帝国におけるキリスト教に対する姿勢が大きく変わる転換点でした。エウセビオスは多数の作品を執筆しましたが、代表作はイエスの誕生からコンスタンティヌス帝による公認までのキリスト教徒の活動の歴史を綴った『教会史』です。

『教会史』ではイエス復活の出来事に対し時の皇帝はさほど関心を抱いていなかったことや、やがてキリスト教に対して反発する人々が出てきたこと、そしてローマ皇帝の数代ごとに章立てし、その時代にどのような迫害が起こったかについて綴ります。エウセビオスはディオクレティアヌス帝が303年になした大迫害についても目撃者として詳細に語ります。皇帝による、教会を破壊し文書を燃やせという旨の勅令を契機とし、多くのキリスト教徒が迫害の犠牲になりました。エウセビオス自身も投獄されたそうですが、運良く無事に解放されました。

そして311年、キリスト教を迫害する勅令の撤回がなされ、その後にはコンスタンティヌス帝のミラノ勅令によりキリスト教が公認されます。エウセビオスはキリスト教徒が喜びで溢れる様子や、儀式でエウセビオスが述べた祝辞を書き記しました。

それからのキリスト教では、イエスの神性について論争が起こっていました。「子」であるイエスは存在しないときがあったのであるから、(常に存在する)神の被造物であるとするアリウス派と、「父」と「子」は同質であるとするアタナシウス派の対立です。

325年、コンスタンティヌス帝は論争を解決するためニケーア公会議を開き、エウセビオスも参加しますが、エウセビオスはこの問題について曖昧な態度をとりました。会議では結局アタナシウス派が認められることとなりました。


参考文献

エウセビオス『教会史』(上), 秦剛平 訳, 講談社学術文庫, 2010

エウセビオス『教会史』(下), 秦剛平 訳, 講談社学術文庫, 2010


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