アンセルムス

アンセルムスは北イタリアのアオスタ出身の神学者です。

彼はアオスタの修道院付属学校で学んだ後、ノルマンディー(フランス北部)の修道院で敬虔な生活を送り、その生活の中で思想を深めます。

アオスタの町並み
現代のアオスタの町並み

アンセルムスは神について、聖書の権威に基づかずに理性によって説明しようとしました。

彼の理論を要約すると、存在するものの中には最善・最大・最高のもの(本性)が存在することを考えることができ、それを通じて他のすべてのものが存在しているのだ(実在論)ということだと思われます。例えば、それぞれの人間にとっての「善」の基準はバラバラであっても、個別の「善」の基準の中にはそれが「善」たりうる共通のものを含んでいると考えることができます。

アンセルムスはこのような本性、ひいては神がどのように存在しているかは人間の知性の限界を超えていることから、彼は「理解するためにはまず信仰しなければならない」と考えました。

アンセルムスは後にイングランド(ノルマン朝)の王によりカンタベリー大司教の座に任命されることになります。しかし当時のイギリスでは王による任命を受けた場合、財産を貢納することが求められていました。アンセルムスはそのような慣習を嫌い、また、ウルバヌス2世の教皇承認を巡って王と対立し、アンセルムスは何度か追放されることとなります。最終的に国王が聖職者の叙任権を放棄することで政治的決着がつき、アンセルムスのカンタベリー大司教としての地位が確立されました。

カンタベリー大聖堂内部
カンタベリー大聖堂

参考文献

『中世思想原典集成 7 前期スコラ学』, 古田暁 監修, 平凡社, 1996

印具徹『アンセルムス研究』, 新教出版社, 1951


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アルクイン

アルクイン(735頃-804)はイングランド北部ノーサンブリア出身の神学者です。
彼は50歳頃までイングランドにいましたが、カール大帝に誘われフランク王国アーヘンの宮廷にて仕えることとなります。

アーヘン大聖堂
アーヘン大聖堂

カール大帝はキリスト教の普及により王国の支配領域を広げようとしていました。しかし当時のフランク王国は、長年に渡るゲルマン人の移動による混乱で教育機関も書物も不足しています。そこでアルクインをはじめとするカール大帝の臣下たちは、各地の修道院を訪ねそこの所蔵図書から写本を製作したり、学習の場として新たな修道院や司教座を設立したりして、教育水準の向上を目指しました。

カール大帝とアルクインたちは、非公式な場ではホメロスやウェルギリウスの作品の登場人物の名前をあだ名にしてお互いを呼び合い、語り合っていたそうです。

彼らの文芸復興の活動により、以後ヨーロッパで学問が発展する土壌が作られました。


参考文献
フィリップ・ヴォルフ『ヨーロッパの知的覚醒 中世知識人群像』渡邊昌美 訳, 白水社, 2000


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