カエサル

カエサル (前100-前44)はローマ出身の政治家です。

当時のローマの社会構造は元老院・騎士階級・無産市民により構成されており、政治家は無産市民を雇い自身の私兵となしていました。

カエサルが若い頃は閥族派(元老院側)のスラと平民派(騎士・無産市民側)のマリウスが抗争を繰り広げており、スラが私兵を率いてローマを占領し独裁官になります。カエサルはマリウスの血縁関係をもっていたことからスラに命を狙われますが、結局見逃されました。

スラの死後カエサルはいくつもの官職を経た後、前60年に、スラと親しい立場にあったポンペイウスとクラッススと結びつき第1回三頭政治を開始します。そして前58年から約7年間にわたるガリア(現在のフランス・スイス・ベルギー等周辺)遠征に繰り出しました。

この時のカエサルの経験を記録した書物が『ガリア戦記』です。多数の部族に分かれたガリアがローマの要求に翻弄され、従属や抵抗を繰り返しながら最終的に全ガリアがローマによって支配されるまでの出来事を、ローマ軍の指揮官の立場から明瞭に記述されています

その後三頭政治はクラッススがパルティアとの間のカルラエの戦いで戦死したことで崩壊し、ポンペイウスとカエサルが対立することになります。カエサルはポンペイウスを倒し独裁官になりますが、王になることを狙った行言動を繰り返したため、前44年、元老院のブルートゥスらによって暗殺されてしまいました。

トッレアルジェンティーナ
カエサルが暗殺された現場であるポンペイウス劇場付近に隣接する神殿跡。劇場は現在地下に埋まっている。

参考文献

『カエサル戦記集 ガリア戦記』, 高橋宏幸 訳, 岩波書店, 2015

『ローマ法史概説』, 町田実秀, 有信堂, 1963


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ポリビオス

ポリビオス (前201-前120頃) はギリシアのメガロポリス出身の人物です。

ポリビオスの生まれた時代はローマとカルタゴの争いの最中で、紀元前264年にカルタゴとの間で第1回ポエニ戦争が始まり、戦いは紀元前146年の第3回ポエニ戦争でカルタゴが滅亡するまで断続的に続きました。当時のギリシアではアンティゴノス朝マケドニアの影響を受けながらも各都市国家が存続していましたが、カルタゴと同時期(紀元前146年)にマケドニア・ギリシアともローマの属州となります。

ポリビオスははじめギリシア(アカイア同盟)の独立を保とうとする立場にたっていましたが、ローマへと連行されます。ローマでポリビオスはスキピオ・サークルという知識人たちのコミュニティに入り交流を深めました。その中にはローマの権力者も含まれており、ポリビオスはカルタゴが滅亡する様子を戦場で目の当たりにしたり、ローマ占領下でのギリシアの統治に従事したりするなど、ローマの歴史に密接に関わることになりました。

The Sack of Corinth, by Thomas Allom (1804-1872)
The Sack of Corinth, by Thomas Allom (1804-1872)
アカイア同盟の中心都市であるコリントスがローマ軍によって破壊される様子の想像図。

ポリビオスの作品のうち代表的なものは『歴史』です。『歴史』では、なぜローマが世界の覇権を握ったのかを、ポエニ戦争を中心に戦争の原因や経過・戦術、後に残った影響を説明することで解明しようとしています。同時にローマによる統治を評価するための判断材料を後世に残すという意図もあります。

また、『歴史』では政体循環史観が示されます。この考えをおおまかに要約すると、国制は、初めは上手く機能していても次第に人々の意識が変わるため長くは続かず、王制→貴族制→民主制と推移したのち王制に戻るのが自然であるというものだと思われます。


-参考文献

『歴史1』, 西洋古典叢書, ポリュビオス著 城江良和訳, 京都大学学術出版会 2004

『歴史2』, 西洋古典叢書, ポリュビオス著 城江良和訳, 京都大学学術出版会 2007


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