キケロ

キケロ (前106-前43)はローマの南東に位置する町アルピヌムの出身の人物です。キケロの家系にローマで高位の公職に就いた人物はいませんでしたが、学問や弁論術に秀でたキケロは弁護士としての活動を評価され、前63年に政治家のトップである執政官にまで上り詰めました。

アルピーノ
現代のアルピヌム(現アルピーノ)

キケロは執政官の任期中、反乱を企てた人物を壮大な弁論で追い詰めるなど、ローマや市民を守るために励みました。

キケロは弁護士や政治家としての活動のほか、執筆にも取り組みます。『国家』はスキピオ・サークル(教養ある哲学者や詩人、政治家などの集まり)のメンバーが理想の国家について話し合うという物語調の作品です。作中では理想の国家とはローマの共和政であると結論付けられています。

キケロは共和政を理想としていたため、独裁を目指したカエサルが暗殺された後に、カエサルの後を継ごうとしたアントニウスを批判します。キケロはアントニウスに対抗するためオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)を支持しますが、結局オクタウィアヌスはアントニウスと結びつき、前43年にキケロは暗殺されてしまいました。


参考文献

『キケロー弁論集』, 小川正廣 谷栄一郎 山沢孝至 訳, 岩波文庫, 2005

『キケロー選集 8』, 岡道夫 編, 岩波書店, 1999

『世界の名著 13』, 鹿野治助 編 , 中央公論社, 1967 


カエサル ローマ文化まとめに戻る ルクレティウス

投稿日:
カテゴリー: ローマ

カエサル

カエサル (前100-前44)はローマ出身の政治家です。

当時のローマの社会構造は元老院・騎士階級・無産市民により構成されており、政治家は無産市民を雇い自身の私兵となしていました。

カエサルが若い頃は閥族派(元老院側)のスラと平民派(騎士・無産市民側)のマリウスが抗争を繰り広げており、スラが私兵を率いてローマを占領し独裁官になります。カエサルはマリウスの血縁関係をもっていたことからスラに命を狙われますが、結局見逃されました。

スラの死後カエサルはいくつもの官職を経た後、前60年に、スラと親しい立場にあったポンペイウスとクラッススと結びつき第1回三頭政治を開始します。そして前58年から約7年間にわたるガリア(現在のフランス・スイス・ベルギー等周辺)遠征に繰り出しました。

この時のカエサルの経験を記録した書物が『ガリア戦記』です。多数の部族に分かれたガリアがローマの要求に翻弄され、従属や抵抗を繰り返しながら最終的に全ガリアがローマによって支配されるまでの出来事を、ローマ軍の指揮官の立場から明瞭に記述されています

その後三頭政治はクラッススがパルティアとの間のカルラエの戦いで戦死したことで崩壊し、ポンペイウスとカエサルが対立することになります。カエサルはポンペイウスを倒し独裁官になりますが、王になることを狙った行言動を繰り返したため、前44年、元老院のブルートゥスらによって暗殺されてしまいました。

トッレアルジェンティーナ
カエサルが暗殺された現場であるポンペイウス劇場付近に隣接する神殿跡。劇場は現在地下に埋まっている。

参考文献

『カエサル戦記集 ガリア戦記』, 高橋宏幸 訳, 岩波書店, 2015

『ローマ法史概説』, 町田実秀, 有信堂, 1963


ポリビオス ローマ文化まとめに戻る キケロ

投稿日:
カテゴリー: ローマ